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2 April LIVE Session 4

愛 守屋さんのお話にあったように、ちゃんと規則どおりにやれば正しく、整然とすることはできると思いますが、それでは確かにあまり面白みを感じないかもしれませんね。

特に空間としては、味がないような気がします。

先程の格差の話でもありましたが「なぜ格差というものがあるのか
それを調べてみたい。その格差をリクリエイトとしていきたい」
そんな気持ちが、実は意外とわくわくにつながるものだったり。。。


守 私の妻が琴をやっているのですが、面白いことにと東洋と西洋とでは、同じ「間」といっても厳密さが違ってくるんですね。西欧の場合、一拍はあくまで一拍ですが、東洋の場合、楽譜があっても、お師匠さんからの口伝で、ここは三拍という風に変わる場合があったりするそうです。初めから三拍と書けばよさそうなものなんですけどね(笑) つまり東洋の方が、よくいえば融通無碍、わるくいえばいい加減なんです(笑)
  それと、格差という点でいいますと、中国の古典には墨子というものがあって、兼愛、つまり差別のない愛をとなえました。一方、渋沢栄一の愛した論語などの儒教は、別愛、あくまでわけへだてのある愛だったといわれています。でも、わけへだて、つまり格差や身分秩序のようなものがあるからこそ、人はその差を詰めて、自分も栄達しよう、幸せになろうと努力する面が確実にあるのだと思います。

 

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渋澤 渋沢栄一と資本主義について考えてみると、現在のフジテレビ騒動についても、マネーゲームだというような感情論ではなく、資本主義の本質について考えることが必要であると思います。


渋沢栄一が日本に資本主義、直接金融・間接金融を導入したいと思ったのは、
・小資本が散らばっているのでは、使いようがない。
・その小資本を集めて、大資本にすれば、大きな川ように原動力になる。
・その原動力によって、事業は成り立ち、国は豊かになる。

小資本 ⇒ 大資本 ということは、
この時点で「格差」を生んでいることになります。

そして、事業とは何か?
格差を埋めることが付加価値と考えると、
それがサービス産業であろうと、
知的なものであろうと、
物理的なものであろうと
事業は格差を埋めることの対価によって資本を稼ぐことですね。

そう考えると格差は大事ですね。

ただ、商業・産業によって生じた格差を、
今度は社会的活動、慈善活動や寄付金などで
埋めるころは社会にとって不可欠だと思います。

要するに、資本主義を語るには、
社会還元のほうも一緒に語らないと
実は意味がない。

現在ではそのどちらかしか議論されていない気がします。

by project13percent | 2005-04-02 11:41 | 座談会I Apr. 2, 2005


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