5月8日座談会10

榊:ベートーベンは当時革新的な創造家でした。したがってベートー
  ベンがビートルズに通じるという点はあると思います。
  ベートーベンはトロンボーンという、当時神の使いの楽器と呼ばれていた
  ものを、田園では雷の音に使ってしまったというものすご
  いことをした人でした。

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篠:田園はベートーベンが耳が聞こえなくなってから作った曲だった
  と思いますが、なぜそれができるかというと、それまでの基礎が
  出来上がっていたからだと思います。それに加えて耳が聞こえない
  からこそ感性を研ぎ澄ませることができ、そのために素晴らしい
  曲ができたと思います。
  日本でも、盲学校の生徒さんのサッカー写真をとるために行った
  ことがあるのですが、5感を研ぎ澄ませることで可能になるの
  ですね。それを見たときには、思わず胸が熱くなってしまいまし
  た。
  耳が聞こえない人のために作曲をされている方もいるのですが、
  障害をただ害と捉えるのではなく、それだからこそ伸ばせる個性
  もあるのでしょうか。

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# by project13percent | 2005-05-08 10:21 | 座談会II May 8, 2005

5月8日座談会11

榊:
障害について話す事はとタブー視されることがあるので、
慎重になりますが、障害がある方は、一方で、他のことに才能を開花させる事が多いですね。


篠:
算数が出来ない子にモーツアルトきかせると、すぐにピアノ弾いてしったりする、
脳に欠陥があると、違うところがすごくずば抜けて優れることがある。
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論語の話だと50にして天命をしる、70にして己の心の欲するところにいくという、
僕も15のときは画家、詩人になりたい、30のときそのみちにいって40になってこの仕事だなと自覚して、50になって展覧会、講演の依頼、これは天命、才能と運。


「運命」の曲のタイトルについて質問があり、

榊:
ベートーベンが、弟子にこの名曲はなにかと尋ねられ、【運命は、かく扉を叩く】といって、
その言葉を弟子が広げていったといわれていますね。

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# by project13percent | 2005-05-08 10:20 | 座談会II May 8, 2005

5月8日座談会12

篠:私は人生の半分は「運」なのではないかと思います。とりたい写真
  があっても、なかなかその環境も思い通りにはなってくれないもの
  なんですよね。


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川:最近定年後のライフスタイルについて話題になったり、
  中年期でバンドをやることも出きるように環境を創る動きがでてきました。
  「生涯学習」の一環で、脳を発達させるテキストなんかがはやったりして。
  <失われた10年>なのかなんなのか。見失ってきたものを文化的・芸術的にも
  取り戻すためではないでしょうか。
  
  その際にキーワード的に響いて、実感を感じるのは、私は「一流に触れる」ことが
  重要だと思います。
  <息遣いが聞こえる>というか。生きている事を実感できる表現を共有できる空間
  というか。
  
  ロックはもともと、楽器がたとえひけなくても、3コードだけ覚えても叩きつけるように
  3コードをつなぎ合わせて自分を主張することが始まりだった歴史もありますから。
  誰にでもできると思います。(そこが偉大なところ。)


篠:そういえば「オッペケペー」も単純なものでしたね。

川:インターネットやこのコンテンツを始め、
  【 時代は自分発で作る時代 】ですよね。
  最近P.13%で高校生でBlogを作っている方がコメントを書いてくれ
  てますが、高校生がBlogを作り、そこで自分の意見を主張すると
  いうことができる、みんながメデアの時代が進んだんでしょうね。


篠:コンテンツという話題が出ましたが、「コンテンツ」と「芸術」
  はやはり違うのでは、と思います。ソニー・ミュージックが独立
  しましたが、それは自分達にとっても芸術が、ものを売るための
  コンテンツになってしまったことが耐えられなかったからだ、と
  いう話を聞き、びっくりしたことがあります。

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# by project13percent | 2005-05-08 10:19 | 座談会II May 8, 2005

5月8日座談会13

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榊: 20年程前に、CD化が始まって、
    手軽に最高の音が買えるようになってから、
    クラッシックのコンサートに
    いかなくなった人が増えました。

    音楽業界(レコード製作会社)の方々は、
    足を運ばなくても、生以上の音が聴こえる
    ようになった事に、すごく勝ち誇った顔をされていました。

    いまはネット上で音楽配信されてるから。CDが売れない、、、
    そうすると、今度は生で生きている私達に、
    「やっぱりこれからは、生ですよね」と、、、
    

    私達は何もスタンスを変えていないのですが、
    ようやく生モノに戻ってきたのではないかと、手ごたえもあります。


永:
いま劇場世界に生きている、真剣に演じている自身がいる、生のところから芸術がうまれる。
生に接し、体感し、想像力豊かに演じることが、新たな創造として求められている

話は絶えず、このまま続けて生きたい所ですが、時間の制限もある事なので、
生の素晴らしさと想像力と創造力の重要性を語って頂いたと言うことで
本日の話を閉めたいと思います。

ありがとうございました。

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# by project13percent | 2005-05-08 10:18 | 座談会II May 8, 2005

『いずれ』の否定に、『間』の醍醐味があるのかも

永井さんご苦労様でした。
ありがとうございます。


それから篠さん、榊原さん、川上さん、臨場感が海の向こうのアメリカから伝わりました。

即時性というか、コンテンポラリー、って凄いですよね。
今を生きる中に、永遠性を感じることができる。これが「間」、なかんずく「時間」なのでしょう。

そこで、合致するのが、『いずれ』の否定です。今を生きる中で、『いずれ』は生の否定になるのかもしれません。手に触れる、考える、行動する、全て今であるところに醍醐味があるのでしょう。

*** *** ***

今、フィラデルフィアです。
飛行機の中で読んでいた、岡本太郎さんの本が気にかかっています。

「人間にとって成功とはいったい何だろう。結局のところ、自分の夢に向かった自分がどれだけ挑んだか、努力したかどうか、ではないだろうか。夢がたとえ成就しなかったとしても、精いっぱい挑戦した、それで爽やかだ」

「爽やか」という言葉。斯くありたいものです。


「いずれ、自分の思うがままのファンドを作りたい」と思っていました。

でも違うのかもしれません。

岡本さんいわく「『今は駄目だけれど、いずれ』と絶対に言わないこと。『いずれ』なんてヤツに限って、現在の自分に責任を持っていないからだ。生きるというのは、瞬間瞬間に情熱をほとばしらせて、現在に充実することだ」

本気でやってみよう!
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# by project13percent | 2005-05-08 10:15 | 座談会II May 8, 2005

知るということ

守屋です。

今回は、内田樹さんの『ためらいの倫理学』(角川文庫)にインスパイアされて、「知る」というお話です。

人は、よくわからないと思ったときに、どう対処するかで、大雑把に二つの類型に分けられると思います。

まず、わからないことを、わかるよう情報収集したり、類推して「わかる」確度をあげようとするやり方。こちらの中国古典代表は『孫子』。「彼を知り己を知れば、百戦して殆うからず」という言葉は有名ですが、他にもスパイによる情報収集など、わからなさを少しでも薄めようという態度が見られます。なにせ、わからないまま戦えば負けちゃいますもんね(笑)

これと正反対なのが、実は『論語』で、「これを知るを知るとなし、これを知らざるを知らざるとなせ、これ知るなり」という言葉があります。「知っていることを知っているとし、知らないことを知らないとしなさい、これが知るということだ」という意味ですが、要は「わからない」ことは「わからない」と留保し、安直に結論を出さないんですね。で、わかる所だけで勝負しましょうというわけです。

間違った問いに正しい答えを出すのが一番厄介な過ちといったのは(ちょっとうろ覚え)、ドラッカーですが、まさにそれと同じ問題意識が後者にはおそらく通底されているわけです。

一般に、人は仕事や利害関係のある事柄は前者の態度をとります。しかし、そうではない場合、たいていのものは後者の態度で済んでしまうような気もします。もちろん、自分に関わるものなら知る努力をして、いつかは「わかった」という境地を目指すのですが・・・・・・

なぜ、こんな話なのかといいますと、私自身つい知ったかぶりをしてしまう方で、恥ばかりかいているので、せめて「わからない」ことは「わからない」と素直に言い、さらに、その「わからない」理由を他人に説得的に話せるようになりたいな、と思っている所があります。そうしたら、冒頭にあげた本がまさに、この点に関して明快な指摘をしていて、大変感心したわけです。お時間と興味のある方、ぜひ御一読を。
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# by project13percent | 2005-05-07 02:39

14 March,2004 Conference session2

2004年3月14日のコンファレンスでは、
こちらでご紹介させていただきました様に、3つのSessionに分けて座談会を行いました。前回は、セッション①を紹介させて頂きましたが、今回はセッション②の紹介がてら簡単に内容を掲載させていただきます。

セッション ② ウェルネス(心と体の豊かさ): 
            『ファイティングポーズ』 ライフデザインの為の重点項目の事例紹介 


・モデレーター:三菱証券株式会社 部長代理 
        東京大学先端科学技術研究センター 協力研究員 永井聡


・パネリスト: 東京大学医学部附属病院 客員
        特定非営利活動法人メディカル・ブリッジ理事長 古井祐司
           「能動的な予防医学構想」


・パネリスト: 有限会社クライシスインテリジェンス 代表取締役
        特定非営利活動法人日本危機管理学総研 理事  浅利眞
           「自助努力への最初の一歩 ~ 地域の安全作りのために」


・パネリスト: LIS(エルアイエス)グローバルスクール代表  鈴木隆
           「こどもに学んでほしいことは何ですか?」


このセッションでは、我々自身がライフデザインを構築していく為に必要であろうと思われる内容(心と体のリスクマネジメント)に関して、幾つかその先端に位置する人々の自律的主体的活動を紹介することで、先駆者の苦渋と悩みを理解してもらうのと同時に、その根底にある物が何なのかと言う共通項(自律・自助努力)を提示できればと言う事で、まるっきり関係性のなさそうな人たちを集めてセッションをしてみました。

古井理事長には予防医学と言う観点から、ヘルスケアにおける三つの自立(①自分の健康②公的な健康 ③共助)とはと言う内容を話して頂きました。ここでは、健康と自律と社会資源というキーワードを使いました。自身の健康を自分で自律して考えて行くには、公的な枠組みも最低限大事にしながら、地域やNPO、民間の医療保険利用しながら、共助という考え方で健康を考えられないかという話しでした。

浅利理事には民間が自分自身を自ら守ると言う仕組みと視点を「人の命」を脅かす危機をどのようにコントロールし軽減するかと言う話を頂きました。危機管理が機能するのは、住民の気づきが大切であり、地域住民が、共に互助、共助し合うということが重要になってくる、特に、失われたコミュニティ意識の復活こそ、危機管理能力の復活に必要になってきていると言う話しでした。

鈴木代表には親として、フリースクールの教育者として、子供に自分で考える力とはと言う内容を学習環境の提供・子供の学習支援とナビゲータの役割の重要性をお話し頂きました。実際に経営している学校では「大人が子供に何かを教える」と言う行為よりは、「子供の学びを支援」と言う成長支援の視点が重視され、子供自らが納得し、支援者にも納得してもらうと言う話しでした。

この場で語られた事は、自立すると言う事と共助と言う事は全く同じコンセプトで語られ繋がる内容で、夫々が夫々の思いをきっちりと明示していく重要性と夫々の行為における「気づき」・「やる気」が起って来るポイントを何だと考えているのかと言う点、又行為の多様性の並存の重要性を語って頂きました。

それぞれ各人が活動している内容のHPは以下のものですので、ご参考にご覧下さい。ご意見のある方はご自由にコメントをいただければ幸いです。
【古井氏関連】
http://www.hcc-jp.com/company/ga.html
http://www.m.u-tokyo.ac.jp/kenshin/
http://www.jahio.or.jp/information.html
【浅井氏関連】
http://www.kikikanri.jp/enterprise.html
http://www.manabinoba.com/
【鈴木氏関連】
http://www.lis-global.com/
http://tokyocs.org/
http://www.l-net.com/lgs/index.htm
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# by project13percent | 2005-05-05 13:20 | コンファレンス Mar.14, 2004

革命とは何か

守屋です

今回は革命の話です。革命は正確には易姓革命といいまして、「姓を易(かえ)、命を革(あらた)む」と読みます。

簡単に説明しますと、姓をかえるとは、天下人の姓名がかわることです。豊臣が亡んで、徳川になったという感じですね。

で、命というのは、天命のことで、命をあらたむとは、「天」が「こいつに天下をまかせよう」という命令を変更するというわけです。

では、どうしたら、命はあらためられるのか? それは、民の気持ちがバロメーターということになっていって、民心が政権から離れると、革命がおこるという話になっています。

ちなみに、論語などの古典は、ルイ王朝下のフランスに翻訳されまして、それまでの「王権神授説」に対して、「革命」という概念を広め、フランス革命の原動力になったという説を唱える人もいます。ちなみに王権神授説では、王権は神のみに責任を負って、民には負わないので、好き放題という所があったようです(笑)

で、中庸の話なんですが、ドーナツのように中心が無い場合、たとえば政治でいえば、権限があるべきところになくて、バラバラになった場合、どこに「中庸」はあるのか? これは「中庸」がないので、ドーナツだったら一端ぐちゃぐちゃにして、また丸め、新たに中心を作ってしまえば良いという発想になってきます。そう、これも革命なんですねー。

中庸って穏当な発想にも思えますが、ちょっと視点をずらすと過激な話にもなっていくんですね。

無理やり「間」の話につなげると、間がぐちゃぐちゃになって修復が難しければ、もうガラガラポンだ、という感じでしょうか(笑)。ま、間をわきまえない、「間の悪い奴」「間抜け」をなるべく作らないのが、まず基本なんですが・・・・・・
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# by project13percent | 2005-04-29 18:48

「士道」と「武士道」と「Bushido」

 satokunn です。
 昨年のプロジェクト13%のセミナー実施の後、分科会をいくつかボランタリーに立ち上げた中で、渋沢栄一の「論語と算盤」と言う講演集の研究会を行ないました。
内容については、著書を直接読んで頂くか、渋澤さんの
“ http://blog.livedoor.jp/shibusawaken/ ”
を見て頂くと、内容を掻い摘む事が可能です。
 その研究会で毎回御指導頂いたのが、当サイトで登場頂いている守屋さんです。
多分、これから書く事の誤謬は、彼が指摘してくれるので、好きなように書きますが、今回のテーマは、「士道・武士道の現代への復活」です。

 日本研究の中で、著名な「武士道」と言う語句は、実は明治33年に英文で書かれ、出版された新渡戸稲造の著書です。
 その内容を掻い摘んで見ると、武士道は儒教・仏教の長所だけを継承していながらも、義を中心にして勇・仁・礼・誠と名誉を深く重んじ、西欧の騎士道とも共通し、キリスト教の良い面やバークレー等の理想主義にも通じるものがあると分析しています。ただし武士道にはキリスト教の大きな「愛」が欠けているように思えるので、そこで武士道とキリスト教が包摂しあえば、もっとすばらしい倫理観が形成されるのではないかという論旨になっています。
 ようするに日本人にはキリスト教に比肩しうる道徳の伝統があり、それが “Bushido”となる。と言う論旨である。
 キリスト教者らしい論の展開ですが、欧米で読まれるのは充分ですね。

 この著書の影響は大きく、欧米では結構それなりに読まれているし、最近では台湾の李登輝もこの著書の素晴らしさを宣伝していたのを記憶されてる方々もいらっしゃるかも知れません。

 ただ、渋沢栄一は、この有名になった「武士道」と言う概念が、日本と言う実社会の中で、何故か華族・士族の思想であり、平民の思想ではない事に憤りを感じており、こんな風に定義付けています。

 武士道は、正義・廉直・義侠・敢為・礼儀を包含する思想である、この精神は日本の精華であると述べています。そしてこの精華を実社会に活用してこそ、西欧産業社会と肩を比する国、信頼の置ける産業・商業国日本と言う立場が主張できるとも述べています。

 渋沢栄一的言葉で言えば、「商業の真個の目的が有無相通じ、自他相利するにあるごとく、殖利生産の事業も道徳と随伴して、始めて真正の目的を達するものなり。」でしょうか。

 論語と言うものを研究しながら、渋沢栄一が「士道」が何故「武士道」に変化し、それが社会規範として、又世界規範としても相応しい概念である事を、彼は100年も前に民衆に訴えかけているのを、現代人は忘れてはならないと思っています。

 それは偏に、士道は支配者に仕える側の思想であり、為政者側に立った、支配者と民とのブリッジを務める役割を果たす行動規範であるが、“Bushido”は、民衆が自らの行動規範を形づくる為の思想と考えて良いものかと思っています。尤も渋沢栄一は、単純に武士道の復活・励行を語っただけでなく、利他心や愛情もその行動規範に加わっていると述べる事も忘れてはいませんでした。
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# by project13percent | 2005-04-25 11:02

日本人と銭湯

愛川眞由です。

実は最近、「スーパー銭湯」にこってます。

昨日はなんと死海の塩を使った「死海風呂」なるものがある
藤沢のスーパー銭湯に行き、実際プカプカ浮いてきて
「日本で死海浴??!!」と、かなり不思議な気分になりました。

浮かびながら、日本人がなぜここまでお風呂のバリエーションを
豊かに楽しめる民族なのか感じてみたんですが、それはやはり
「間」だと思うのですね。

お風呂に入るとなんだか「ほかっ」とした感じがして、自分の「間」
が広がった感じがしませんか?

今まで自分の狭い枠で考えていて、がんじがらめになっていた観念から
解き放たれ、自分の中に「間」が産まれると、そこにものすごいインスピレーション
が湧いてくることがあります。

よく優れた発明、発見、芸術の歴史を検討してみると「散歩の途中やお風呂のの中
などでくつろいでいる時に大発見した」というエピソードが多いといいますが、
日本人は「お風呂楽しむ」という文化を通して、自然とその効能を日々の仕事や
発明に活かしていたのかもしれませんね。

日本人が「お風呂好き」というのも、「間」に敏感な民族の特製かもしれないな〜
ということに思いをはせながら、日本庭園のある露天風呂から美しい月を眺め、
星の輝きに爽やかなインスピレーションをもらえた春の夜でした。
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# by project13percent | 2005-04-24 14:06

ゆれ動く「中庸」

守屋です

「中庸」といいますと、だいたい真ん中あたりの穏当な選択肢とってればいい、という感じがあります。

確かに「中」という字は、「□(しかく)」の真ん中に「|(たてぼう)」が入った形で、中心を意味します。
一方「庸」の字は「続ける」という意味合いがあります。二つあわせて「真ん中をつき続ける」という意味になります。

しかし問題は、物事には、中心の位置がころころ変わるものが多いということです。水は容器に応じて形をかえるので、真ん中の位置は容器しだいになります。

その意味で、時々の「端」をまず正しく測定し、そこから真ん中を割り出す必要が出てきます。政治的な真ん中は、左右を確定させることで、割り出されるようなものなんですね。

こう考えると、中庸って揺れ動くもので、中庸で居続けることって結構難しいことがわかります。

では、ドーナツのように、真ん中がなかったらどうするか?このお話は、来週に(笑)
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# by project13percent | 2005-04-23 09:28

Sideways-寄り道ー

小川です。こんにちは。
今までの皆さんの貴重な投稿とうってかわって突然の馬鹿話ですが、
コメディ映画の宣伝?させていただきます。

明日で六本木ヒルズではロードショーが終わってしまいますが、
Sideways
ワインもテーマで、男の友情を扱ってるのですが、
R指定の過激なシーンもたくさんあり、なおかつ名場面だらけでした。

数々のこれでもか!という見せ所のうち個人的に特に気にいったのは、
主人公の中年男性マイルスがヤケ酒を飲むところです。

親友の結婚式で、2年前に離婚した元ワイフに再会したものの、
彼女が連れてるのはハンサムで紳士的な再婚相手、
それに追い討ちをかける様に元ワイフが妊娠してることを知ります。
そのショックで披露宴にはいかず家にワインをとりに行き、
ハンバーガーショップで一人ハンバーガーをつまみに
恐らく彼女の幸せへの祝福も込めて
61年のシュバル・ブランを紙コップで飲んでしまうのです。
お店ですから店員に見えないようにコソコソつぐマイルス。
しかもそのワインは結婚10周年記念に飲もうと大切にとっておいたヴィンテージ高級ワイン、これを空ける日は人生でも特別な日のはずだったワインなのです。

信じられないくらい勿体無いですが、そうするよりどうしようもなかったのでしょう。
切ないのに、家にはワインといえば料理用の安ワインしかない私にとっては大変贅沢にも映りました。

また、マイルスは小説作家志望の教師なのですが、
3年もかけて執筆した自伝小説(父親を介護した話)を、
内容は素晴らしいがマーケティング的に問題があると出版社に決定的に断られます
怒ったマイルスはワイナリーで試飲用ワインをグラス満杯に注げといいますが、
もちろんダメ、
無理矢理ボトルを奪った彼は手酌でワインをなみなみと溢れんばかり注ぎますが従業員にとられてしまいます。
ムキになって他の客達が余ったワインを棄てた大きな容器から飲んで
服もぐちゃぐちゃになって(どうだ)と従業員に罵ります。

とにかく酔っ払えれば、何でもよかったんでしょう!

恋や友情も絡んだ箇所も多いのですが、きりがないので、もうやめます。

この作品はワインも人も熟すほど、
またピークだけでなく下り坂もまた味わいが複雑・豊かで魅力的であることを感じさせてくれて、そのことにいつのまにかすっかり心を奪われてしまいました。

この作品は84の映画賞に輝いたそうです。
アカデミー賞最優秀脚色賞、ゴールデングローブ作品賞、脚本賞受賞。
それだけのことはありますよ。


追記:
思えば友情、恋、親子関係、夫婦関係といった人間関係には全て味覚が大きく絡んでるのでしょうね。
その証拠に大切な人や、心置きなく何でも話せる友達と食べるものはとびきり美味しく感じますし、その逆もまた真なり、あまり気乗りしない?食事会では例えいいお店でもそれ程でなくなってしまいます。

またある説では人は精神のバランスを辛、甘、酸、しょっぱい、苦等の様々な味覚で保っているそうです。偏った味ばかりでは精神が不安定になりイライラするとか。

ホリエモンはパンが買えずパンのミミを買っていた時も自分で工夫して美味しく食べていたとTVで言ってました。
何にでもハングリーなホリエモンならでは。なかなかできないことですね。


関係ありませんが、食品業界でも企業買収が行われていますね。
古い話ですが、
成城石井は牛角のレインズに買収され、
ロバート・モンダビのモンダヴィ・コーポレーションも世界トップのアルコール飲料コンステレーション・ブランズに買収されたそうですね。知りませんでした。http://www.yomiuri.co.jp/wine/news_w/ne04110902.htm
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# by project13percent | 2005-04-21 18:06

Project13%の理論的根拠??

こんばんは。大学院生の小室です。

何か馬鹿話でも書こうかな~と思いながら昨日のコメントを読んでいたら
びっくり!!よく分からない理論の話が出てきた上で自分に解説しろと言
ってるのですから…。要はプロジェクト13%がなぜ目標設定をしないのか、
それを理論的に説明しろ、ということのようです。まぁどうなるかは分かり
ませんが、僕なりの解釈をご紹介してみようと思います。

プロジェクト13%では、基本的にはゴールは各自で自由に設定しようと
考えています。しかし、多くの方は「まず最初に目標を設定せよ」という
考え方のほうが自然ではないか、と思われるのではないでしょうか。

これはあくまでも僕の解釈ですが、もし我々の組織だけの繁栄を考えれば
具体的な目標を設定し、ターゲットを明確にした上で、それらしいアプローチ
を仕掛ける、といったものがベストになると思います。

しかし、我々が目指すものはそれとはちょっと変わっていて、我々が色々
考えている議論を踏み台にして、多くの方が自分で行動を起こせるような
「きっかけ」を作りたい、というものです(つまり我々は「黒子」や「サポータ
ー」に徹する、ということですね)。
そうすれば社会全体に「わくわく感」や「楽しさ」が蔓延して、結果的に
我々自身もよりハッピーになれるだろう、と考えています(もちろんその
過程で、我々も十分楽しませてもらっていますが)。

さて、ではこれを理論的に解釈しますとどういうことかというと、前者は
要するに自分達にとってベストであればそれで良い、という考え方でしょ
う。これを理論的には「局所(部分的)最適化」といいます。
それに対して後者は社会や国など、全体で見たときにベストなものを選択
するという考え方になります。これを、「大域的(全体)最適化」といいます。

局所最適化は、ある限られた視点で見ると、確かにベストなものとなって
いるのですが、状況や主体が変わればそれがベストなものではなくなって
しまう危険性があります。それに対して大域的最適化は、より広い視点で
見てべストなものとなっているので、少々状況や主体が変わったくらいで
は、びくともしない強さを持っています。

であれば、局所最適化は普段会社でやっているので(笑)、会社以外では
社会のことを考えた大域的最適化を目指そう、というのが我々の目的なの
かな、と思います。

長ったらしい説明になってしまった上に、うまくお伝えできたか少々不安
が残りますが、僕はこんなことを考えながら、この活動に参加しています。
ただ、実際は楽しいから参加している、という意味では僕個人にとっては
局所最適化をしているだけかもしれませんね(笑)
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# by project13percent | 2005-04-18 23:13

ヴィンテージ・ワイン

はじめまして、山下です。

Project13%は、なぜ渋沢栄一を取り上げるんだろう。
それは、健さんがいるから(^^。確かにそれは切っ掛けではあります。
でも、知れば知るほど、渋沢栄一翁は今このときに必要な人なんです。

世の中の経営者は自社の株価を上げることを目的として行動する。株主への使命として・・・。う~ん、でもね、全て成績だけで評価するようになると、歪みが出てくるんですよ。

たとえば、先生。米国では学校の先生は生徒の成績で評価されるところもあるようです。
しかし、それで何が起こるかというと、先生は生徒のカンニングを見て見ぬ振りをするということが起こるのだそうです。生徒の成績が上がれば自分の評価も上がるからですね。
でも、これは本末転倒。やっては、いけないことを「やってはいけない」と教えなければならない先生が「やってはいけないこと」を教えてしまっているのです。これは、道徳の欠如ですね。

世の中の経営者も自社の株価を上げることのみを目指すと、株価が下がってしまうような都合の悪いことがあると、隠蔽してしまおうと考えるようになってしまうのです。特に企業経営者の成績表である損益計算書、バランスシートが悪化することは隠したいわけで・・・。粉飾決算というやってはいけないことに手を染めてしまったりするのです。米国でもかなり見られましたし、日本でも化粧品会社の粉飾決算が最近問題になりました。
そうそう、会社ぐるみで都合の悪いことは隠してしまおうとした日本の自動車会社もありましたね。

成績のみ(経済のみ)を求めるというのは非常にバランスが悪いんですよね。渋沢栄一の考え方には「経済道徳一致説」という考え方があるんです。そう、これまでいろいろな方がこの「e塾」(かっこいい塾)の中で書いている「論語と算盤」という奴ですワ。

現代には、すばらしい経営者(そろばんの得意な人)はいるかもしれないんですが、すばらしい実業家(論語と算盤を併せ持つ人:「実業家」の定義がちょっと変かな?)は少ないと思うんですよね。でも、日本には明治時代に実業家がいたんですよ~!それが渋沢栄一だと思うんです。

1月の終わりに、渋沢栄一財団の方々と小田原のアジアセンターで合宿をやりました。「財団ではこれまで、積極的には渋沢栄一を世の中に知らしめようとしてこなかった」というお話を聞きました。
でも、今こそ、甦る時だと思うんですよ!渋沢栄一翁さん。
その合宿の中である友人が言いました。「渋沢栄一はヴィンテージ・ワインだ」と。
そうですね、渋沢栄一財団がこの日のために熟成してきた至福のヴィンテージ・ワインです。あえて、世の中に出してこなかった・・・。
ワインには飲み頃があります。私は渋沢栄一ワインは、まさに今が飲み頃だと思うのです!

こんな時代だから、project13%では渋沢栄一をこれからもいろいろな場面で取り上げて、ご紹介していきたいと思います。

「e」塾(かっこいい塾)=(ろんご+ソロバン)塾
次のシーンはどんなだろう。結果が見えちゃうと、ワクワクするのは難しいですよね。
何が起こるか分からないから、ワクワクするんだよね。Project13%では、何が起こるか分かりませんヨ。Project13%にはゴールもないような気がします。

(余談)
最近、世の中の話題をさらった、ホリエさん。彼については賛否両論ありますが、彼が世の中に変化を促していることについては、非常にすばらしいことだと思っています。特に今の日本のように元気が無い時にはネ。

でも、彼がなかなか世間に認められないのは、彼が「自分の目標は自分の会社を世界最大の時価総額の会社にすること」と公言しているからだと思うんです。バランスが悪く、どうも道徳と経済が一致していないように見えるんです。私はこれが、とても残念なことだと思うんですよねー。


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# by project13percent | 2005-04-17 23:40

各国の「間」


こんにちは。 
ワシントンDCから渋澤健です。

このような物理的な「間」を埋めるのは簡単ですね。

ただ、日本とアジアの国ではなかなか「間」が埋まりません。

さきほどの夕食会で米国学者のジョセフ・ナイ氏と
中国の若手政治学者、そしてドイツの政治学者と色々と
意見交換をすることができました。

ドイツが戦後にフランスとの「間」を埋めるための
人的交流など。一方、イギリスとは海峡で離れているためか、
なかなか埋めることができない「間」。

「我々の世代としては、過去をきちんと整理して前進したい」
と述べたところ、中国人学者はうなずいてくれました。

ナイさんが、日本が「普通の国」になることは中国にとって
脅威になるか?という質問には、中国人学者は、「いいえ」と
答えていました。

ナイさんは、また、日本はたくさんの「ソフト・パワー」を持ちながらも、
いつも足元をつまづいているね、という指摘。

ただ、日本が国連の安保理事会に入ることに中国政府が反対することは
短期的思考ではないかと難解を示していました。

我々の世界の「間」。
考える材料をたくさん提供してくれますね。
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# by project13percent | 2005-04-17 11:42

礼と楽が、距離感には大切

守屋です

中国の古典には、人間同士の関係はほどよい距離感、「間」があった方がよいという考えがありました。

例えば『荘子』という古典には、「君子の交わりは淡きこと水のごとく、小人の交わりは甘きこと醴(れい)のごとし(立派な人間の交際は、水のようにさらさらとしているが、つまらない人間の交際は甘酒のようにべたべたとしている)」という言葉があります。そうえいば、「上善水のごとし」という日本酒もありますね(笑)。こちらは老子ですが・・・

また、儒教系の思想は、「礼」と「楽(がく)」によって、人と人の距離感を操ろうとしました。
儒教系の思想を「礼治主義」ということがありますが、実は、これだけでは一面的なのです。

「礼」とは、噛み砕いて言えば、ビジネスマナーのようなもので、人と人に分け隔てを与えるものです。たとえばタクシーの席順や、和室の座り方など、自分の身分秩序における立場を自覚させ、人を離す役目を果たします。

一方、「楽」とはみんなでカラオケボックスいくようなものなんです、ホント(笑)。一緒に合唱して調和しあうなかから、一体感を感じてもらおうとするわけです。こちらは距離感を縮める役目を果たします。

この二つの操縦桿を操って、人の程よい距離感を生み出そうとしたのが儒教系の思想でした。
そして、ちょうどよい距離感が実現できたとき、それは「中庸」だ、ということになるわけです。

でも、「中庸」にも色々問題点があって、という話は、また来週(笑)

追伸 吉川晃司が中国古典に大はまりだそうですねー。ユガナチャンス、昔絶叫しました・・・
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# by project13percent | 2005-04-15 19:34

金のなる木は清い土で育つ 清豊の思想

hirakunです。

今日は、藤野英人さんの著書「金のなる木は清い土で育つ 清豊の思想」(経済界)をご紹介します。

藤野さんは、会社は、ポジティブ・ネガティブ・プラス・マイナスといった多様でいて生々しいものが全部くっついたモノであると説きます。全く綺麗な存在でも、すべてが醜い存在でもないわけです。そういったリアリスティックな目が会社の本質を見抜くためには必要なのでしょう。素直に観察すれば、何らかの傾向性、一種の業(ごう)見たいなモノが見えてきますからね。この点は、会社も人間も同じ。

次にその会社の資産とは、物的資産、金融資産、人的資産、そして顧客資産の四つであると説きます。目に見えない人的・顧客資産こそ大切であって、その部分が付加価値(幸せが心を満たすこと)を生むのでしょう。

私たちは、清貧(清らかに貧しい)か汚豊(汚く金を儲ける)の二者択一のモノサシで、人生観を表現します。しかし、成功した経営者を数多く見てきた実感から言うと、清豊(清く、それでいて稼ぐ)の人が多いと藤野さんは説きます。私も数少ない経験ですが、誠実な経営者を評価するスタンスが、株式の長期保有には適しているように感じます。清豊という姿勢であってこそ、四つの資産のバランスが得られるような気がします。

清豊は「論語と算盤」の基本コンセプトと同じですね。
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# by project13percent | 2005-04-14 21:40

教育改革今昔

永井です。
昨晩、シリーズ明治 という番組を見ていました。
ここで使われている資料は、渋澤さんが以前紹介してくれた、
渋沢記念財団に保存してある明治期の産業・風俗を現した錦絵と言うことだったので、
興味深く拝見しました。
5回シリーズですから、どっかで、渋沢財団の名前が明示される事でしょう。

で、第一回目は、「ゆとりか学力か」と言うタイトルで、明治期の初等教育の実情を捉え
近代教育の課題を抽出してました。

今の日本の教育制度改革と全く同じで、ちょっとビックリ。

初等教育導入時は、西欧文明へのキャッチアップから、徹底した
「勉強次第で立身出世が可能になった能力主義社会への憧れを浮き彫りに」
してましたが、時代が経ち、国民皆教育制度が定着する過程の中に、
「ゆとり」や「楽しさ」が重視される中で、基礎教育の脱落が浮き彫りにされ、
再度、画一的試験制度や成績重視の教育が重要視されました。
その過程の末に、第二次大戦後のアメリカの初等教育調査チームのレポートには、
画一性の弊害や硬直性を指摘し、自由や柔軟性を学ばせる教育方針の確立を目指しました。
と述べてました。
これを今に嵌めてみると、・・・・・・全く同じですね。

教育問題は色々話題になるかと思いますが、ベストな状態は不明です。
でも言える事は、「バランスの取られた知識と判断力」の確立は重要だと思います。
その判断材料を如何に指導者が、教師が実体験を示せるか、
その辺をこのサイトでも考えて見たいと思います。
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# by project13percent | 2005-04-11 13:05

悲観の打破

こんにちは、渋澤です。

最近、ちょっと面倒なことになり、
週末はイライラしていたんですが、

○ 悲観的の人は残酷である。

という「訓言集」を読んでからちょっとすっきりしつつあります。
悲観的になっても、何も解決になりませんからね。

明日は忙しくなりそうです。
「楽観」、「楽観」、「楽観」。。。。!
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# by project13percent | 2005-04-10 22:55

現在も使われている「論語」 ~「遠慮」と「敬遠」~

伊井です。
守屋さんもいらっしゃるのに、論語を語るのは恥ずかしいのですが、昔読んだ、「入門 論語の読み方(村山 まこと)」を久し振りに読み返しています。
現在も良く使われる論語の言葉で、「遠慮」と「敬遠」について引用いたします。現在、対人関係を表す言葉としてよく使われるのでピックアップしてみました。

■「遠慮」
「どうぞご遠慮なく」「遠慮してください」「遠慮のない男だ」などなど、控えめ
にするということから、謝絶したり、されたりする場合の緩衝語としてまで使
われている「遠慮」ですが、もともとは「遠い将来を見通してよく考える」と
いう意味だったそうです。『人、遠慮ナケレバ、必ズ近憂アリ』(論語)です。
遠い将来を見通して考えておかないと、きっと近いところでつまずいてしまう。つまり「深謀遠慮」の遠慮なわけです。ということで、時間的な『間』に
も通ずるかな?と思ったりしています。

■「敬遠」
当らずさわらずで避けること。「うるさいから敬遠しておこう」ということから、野球の敬遠策にまで使われていますね(イチローも既に敬遠策に遭ってますね)。元来は孔子の言葉『鬼神ハ敬シテコレヲ遠ザク』が出典だそうです。「神霊というものは粗末にせず敬うことは敬うが、これに頼るようなことはしない。あくまで、人間としての努力が本筋なのだ」という考え方だそうです。

「論語と算盤」やはり今の経営者には必須ですね。
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# by project13percent | 2005-04-10 19:36