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革命とは何か

守屋です

今回は革命の話です。革命は正確には易姓革命といいまして、「姓を易(かえ)、命を革(あらた)む」と読みます。

簡単に説明しますと、姓をかえるとは、天下人の姓名がかわることです。豊臣が亡んで、徳川になったという感じですね。

で、命というのは、天命のことで、命をあらたむとは、「天」が「こいつに天下をまかせよう」という命令を変更するというわけです。

では、どうしたら、命はあらためられるのか? それは、民の気持ちがバロメーターということになっていって、民心が政権から離れると、革命がおこるという話になっています。

ちなみに、論語などの古典は、ルイ王朝下のフランスに翻訳されまして、それまでの「王権神授説」に対して、「革命」という概念を広め、フランス革命の原動力になったという説を唱える人もいます。ちなみに王権神授説では、王権は神のみに責任を負って、民には負わないので、好き放題という所があったようです(笑)

で、中庸の話なんですが、ドーナツのように中心が無い場合、たとえば政治でいえば、権限があるべきところになくて、バラバラになった場合、どこに「中庸」はあるのか? これは「中庸」がないので、ドーナツだったら一端ぐちゃぐちゃにして、また丸め、新たに中心を作ってしまえば良いという発想になってきます。そう、これも革命なんですねー。

中庸って穏当な発想にも思えますが、ちょっと視点をずらすと過激な話にもなっていくんですね。

無理やり「間」の話につなげると、間がぐちゃぐちゃになって修復が難しければ、もうガラガラポンだ、という感じでしょうか(笑)。ま、間をわきまえない、「間の悪い奴」「間抜け」をなるべく作らないのが、まず基本なんですが・・・・・・
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by project13percent | 2005-04-29 18:48

「士道」と「武士道」と「Bushido」

 satokunn です。
 昨年のプロジェクト13%のセミナー実施の後、分科会をいくつかボランタリーに立ち上げた中で、渋沢栄一の「論語と算盤」と言う講演集の研究会を行ないました。
内容については、著書を直接読んで頂くか、渋澤さんの
“ http://blog.livedoor.jp/shibusawaken/ ”
を見て頂くと、内容を掻い摘む事が可能です。
 その研究会で毎回御指導頂いたのが、当サイトで登場頂いている守屋さんです。
多分、これから書く事の誤謬は、彼が指摘してくれるので、好きなように書きますが、今回のテーマは、「士道・武士道の現代への復活」です。

 日本研究の中で、著名な「武士道」と言う語句は、実は明治33年に英文で書かれ、出版された新渡戸稲造の著書です。
 その内容を掻い摘んで見ると、武士道は儒教・仏教の長所だけを継承していながらも、義を中心にして勇・仁・礼・誠と名誉を深く重んじ、西欧の騎士道とも共通し、キリスト教の良い面やバークレー等の理想主義にも通じるものがあると分析しています。ただし武士道にはキリスト教の大きな「愛」が欠けているように思えるので、そこで武士道とキリスト教が包摂しあえば、もっとすばらしい倫理観が形成されるのではないかという論旨になっています。
 ようするに日本人にはキリスト教に比肩しうる道徳の伝統があり、それが “Bushido”となる。と言う論旨である。
 キリスト教者らしい論の展開ですが、欧米で読まれるのは充分ですね。

 この著書の影響は大きく、欧米では結構それなりに読まれているし、最近では台湾の李登輝もこの著書の素晴らしさを宣伝していたのを記憶されてる方々もいらっしゃるかも知れません。

 ただ、渋沢栄一は、この有名になった「武士道」と言う概念が、日本と言う実社会の中で、何故か華族・士族の思想であり、平民の思想ではない事に憤りを感じており、こんな風に定義付けています。

 武士道は、正義・廉直・義侠・敢為・礼儀を包含する思想である、この精神は日本の精華であると述べています。そしてこの精華を実社会に活用してこそ、西欧産業社会と肩を比する国、信頼の置ける産業・商業国日本と言う立場が主張できるとも述べています。

 渋沢栄一的言葉で言えば、「商業の真個の目的が有無相通じ、自他相利するにあるごとく、殖利生産の事業も道徳と随伴して、始めて真正の目的を達するものなり。」でしょうか。

 論語と言うものを研究しながら、渋沢栄一が「士道」が何故「武士道」に変化し、それが社会規範として、又世界規範としても相応しい概念である事を、彼は100年も前に民衆に訴えかけているのを、現代人は忘れてはならないと思っています。

 それは偏に、士道は支配者に仕える側の思想であり、為政者側に立った、支配者と民とのブリッジを務める役割を果たす行動規範であるが、“Bushido”は、民衆が自らの行動規範を形づくる為の思想と考えて良いものかと思っています。尤も渋沢栄一は、単純に武士道の復活・励行を語っただけでなく、利他心や愛情もその行動規範に加わっていると述べる事も忘れてはいませんでした。
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by project13percent | 2005-04-25 11:02

日本人と銭湯

愛川眞由です。

実は最近、「スーパー銭湯」にこってます。

昨日はなんと死海の塩を使った「死海風呂」なるものがある
藤沢のスーパー銭湯に行き、実際プカプカ浮いてきて
「日本で死海浴??!!」と、かなり不思議な気分になりました。

浮かびながら、日本人がなぜここまでお風呂のバリエーションを
豊かに楽しめる民族なのか感じてみたんですが、それはやはり
「間」だと思うのですね。

お風呂に入るとなんだか「ほかっ」とした感じがして、自分の「間」
が広がった感じがしませんか?

今まで自分の狭い枠で考えていて、がんじがらめになっていた観念から
解き放たれ、自分の中に「間」が産まれると、そこにものすごいインスピレーション
が湧いてくることがあります。

よく優れた発明、発見、芸術の歴史を検討してみると「散歩の途中やお風呂のの中
などでくつろいでいる時に大発見した」というエピソードが多いといいますが、
日本人は「お風呂楽しむ」という文化を通して、自然とその効能を日々の仕事や
発明に活かしていたのかもしれませんね。

日本人が「お風呂好き」というのも、「間」に敏感な民族の特製かもしれないな〜
ということに思いをはせながら、日本庭園のある露天風呂から美しい月を眺め、
星の輝きに爽やかなインスピレーションをもらえた春の夜でした。
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by project13percent | 2005-04-24 14:06

ゆれ動く「中庸」

守屋です

「中庸」といいますと、だいたい真ん中あたりの穏当な選択肢とってればいい、という感じがあります。

確かに「中」という字は、「□(しかく)」の真ん中に「|(たてぼう)」が入った形で、中心を意味します。
一方「庸」の字は「続ける」という意味合いがあります。二つあわせて「真ん中をつき続ける」という意味になります。

しかし問題は、物事には、中心の位置がころころ変わるものが多いということです。水は容器に応じて形をかえるので、真ん中の位置は容器しだいになります。

その意味で、時々の「端」をまず正しく測定し、そこから真ん中を割り出す必要が出てきます。政治的な真ん中は、左右を確定させることで、割り出されるようなものなんですね。

こう考えると、中庸って揺れ動くもので、中庸で居続けることって結構難しいことがわかります。

では、ドーナツのように、真ん中がなかったらどうするか?このお話は、来週に(笑)
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by project13percent | 2005-04-23 09:28

Sideways-寄り道ー

小川です。こんにちは。
今までの皆さんの貴重な投稿とうってかわって突然の馬鹿話ですが、
コメディ映画の宣伝?させていただきます。

明日で六本木ヒルズではロードショーが終わってしまいますが、
Sideways
ワインもテーマで、男の友情を扱ってるのですが、
R指定の過激なシーンもたくさんあり、なおかつ名場面だらけでした。

数々のこれでもか!という見せ所のうち個人的に特に気にいったのは、
主人公の中年男性マイルスがヤケ酒を飲むところです。

親友の結婚式で、2年前に離婚した元ワイフに再会したものの、
彼女が連れてるのはハンサムで紳士的な再婚相手、
それに追い討ちをかける様に元ワイフが妊娠してることを知ります。
そのショックで披露宴にはいかず家にワインをとりに行き、
ハンバーガーショップで一人ハンバーガーをつまみに
恐らく彼女の幸せへの祝福も込めて
61年のシュバル・ブランを紙コップで飲んでしまうのです。
お店ですから店員に見えないようにコソコソつぐマイルス。
しかもそのワインは結婚10周年記念に飲もうと大切にとっておいたヴィンテージ高級ワイン、これを空ける日は人生でも特別な日のはずだったワインなのです。

信じられないくらい勿体無いですが、そうするよりどうしようもなかったのでしょう。
切ないのに、家にはワインといえば料理用の安ワインしかない私にとっては大変贅沢にも映りました。

また、マイルスは小説作家志望の教師なのですが、
3年もかけて執筆した自伝小説(父親を介護した話)を、
内容は素晴らしいがマーケティング的に問題があると出版社に決定的に断られます
怒ったマイルスはワイナリーで試飲用ワインをグラス満杯に注げといいますが、
もちろんダメ、
無理矢理ボトルを奪った彼は手酌でワインをなみなみと溢れんばかり注ぎますが従業員にとられてしまいます。
ムキになって他の客達が余ったワインを棄てた大きな容器から飲んで
服もぐちゃぐちゃになって(どうだ)と従業員に罵ります。

とにかく酔っ払えれば、何でもよかったんでしょう!

恋や友情も絡んだ箇所も多いのですが、きりがないので、もうやめます。

この作品はワインも人も熟すほど、
またピークだけでなく下り坂もまた味わいが複雑・豊かで魅力的であることを感じさせてくれて、そのことにいつのまにかすっかり心を奪われてしまいました。

この作品は84の映画賞に輝いたそうです。
アカデミー賞最優秀脚色賞、ゴールデングローブ作品賞、脚本賞受賞。
それだけのことはありますよ。


追記:
思えば友情、恋、親子関係、夫婦関係といった人間関係には全て味覚が大きく絡んでるのでしょうね。
その証拠に大切な人や、心置きなく何でも話せる友達と食べるものはとびきり美味しく感じますし、その逆もまた真なり、あまり気乗りしない?食事会では例えいいお店でもそれ程でなくなってしまいます。

またある説では人は精神のバランスを辛、甘、酸、しょっぱい、苦等の様々な味覚で保っているそうです。偏った味ばかりでは精神が不安定になりイライラするとか。

ホリエモンはパンが買えずパンのミミを買っていた時も自分で工夫して美味しく食べていたとTVで言ってました。
何にでもハングリーなホリエモンならでは。なかなかできないことですね。


関係ありませんが、食品業界でも企業買収が行われていますね。
古い話ですが、
成城石井は牛角のレインズに買収され、
ロバート・モンダビのモンダヴィ・コーポレーションも世界トップのアルコール飲料コンステレーション・ブランズに買収されたそうですね。知りませんでした。http://www.yomiuri.co.jp/wine/news_w/ne04110902.htm
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by project13percent | 2005-04-21 18:06

Project13%の理論的根拠??

こんばんは。大学院生の小室です。

何か馬鹿話でも書こうかな~と思いながら昨日のコメントを読んでいたら
びっくり!!よく分からない理論の話が出てきた上で自分に解説しろと言
ってるのですから…。要はプロジェクト13%がなぜ目標設定をしないのか、
それを理論的に説明しろ、ということのようです。まぁどうなるかは分かり
ませんが、僕なりの解釈をご紹介してみようと思います。

プロジェクト13%では、基本的にはゴールは各自で自由に設定しようと
考えています。しかし、多くの方は「まず最初に目標を設定せよ」という
考え方のほうが自然ではないか、と思われるのではないでしょうか。

これはあくまでも僕の解釈ですが、もし我々の組織だけの繁栄を考えれば
具体的な目標を設定し、ターゲットを明確にした上で、それらしいアプローチ
を仕掛ける、といったものがベストになると思います。

しかし、我々が目指すものはそれとはちょっと変わっていて、我々が色々
考えている議論を踏み台にして、多くの方が自分で行動を起こせるような
「きっかけ」を作りたい、というものです(つまり我々は「黒子」や「サポータ
ー」に徹する、ということですね)。
そうすれば社会全体に「わくわく感」や「楽しさ」が蔓延して、結果的に
我々自身もよりハッピーになれるだろう、と考えています(もちろんその
過程で、我々も十分楽しませてもらっていますが)。

さて、ではこれを理論的に解釈しますとどういうことかというと、前者は
要するに自分達にとってベストであればそれで良い、という考え方でしょ
う。これを理論的には「局所(部分的)最適化」といいます。
それに対して後者は社会や国など、全体で見たときにベストなものを選択
するという考え方になります。これを、「大域的(全体)最適化」といいます。

局所最適化は、ある限られた視点で見ると、確かにベストなものとなって
いるのですが、状況や主体が変わればそれがベストなものではなくなって
しまう危険性があります。それに対して大域的最適化は、より広い視点で
見てべストなものとなっているので、少々状況や主体が変わったくらいで
は、びくともしない強さを持っています。

であれば、局所最適化は普段会社でやっているので(笑)、会社以外では
社会のことを考えた大域的最適化を目指そう、というのが我々の目的なの
かな、と思います。

長ったらしい説明になってしまった上に、うまくお伝えできたか少々不安
が残りますが、僕はこんなことを考えながら、この活動に参加しています。
ただ、実際は楽しいから参加している、という意味では僕個人にとっては
局所最適化をしているだけかもしれませんね(笑)
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by project13percent | 2005-04-18 23:13

ヴィンテージ・ワイン

はじめまして、山下です。

Project13%は、なぜ渋沢栄一を取り上げるんだろう。
それは、健さんがいるから(^^。確かにそれは切っ掛けではあります。
でも、知れば知るほど、渋沢栄一翁は今このときに必要な人なんです。

世の中の経営者は自社の株価を上げることを目的として行動する。株主への使命として・・・。う~ん、でもね、全て成績だけで評価するようになると、歪みが出てくるんですよ。

たとえば、先生。米国では学校の先生は生徒の成績で評価されるところもあるようです。
しかし、それで何が起こるかというと、先生は生徒のカンニングを見て見ぬ振りをするということが起こるのだそうです。生徒の成績が上がれば自分の評価も上がるからですね。
でも、これは本末転倒。やっては、いけないことを「やってはいけない」と教えなければならない先生が「やってはいけないこと」を教えてしまっているのです。これは、道徳の欠如ですね。

世の中の経営者も自社の株価を上げることのみを目指すと、株価が下がってしまうような都合の悪いことがあると、隠蔽してしまおうと考えるようになってしまうのです。特に企業経営者の成績表である損益計算書、バランスシートが悪化することは隠したいわけで・・・。粉飾決算というやってはいけないことに手を染めてしまったりするのです。米国でもかなり見られましたし、日本でも化粧品会社の粉飾決算が最近問題になりました。
そうそう、会社ぐるみで都合の悪いことは隠してしまおうとした日本の自動車会社もありましたね。

成績のみ(経済のみ)を求めるというのは非常にバランスが悪いんですよね。渋沢栄一の考え方には「経済道徳一致説」という考え方があるんです。そう、これまでいろいろな方がこの「e塾」(かっこいい塾)の中で書いている「論語と算盤」という奴ですワ。

現代には、すばらしい経営者(そろばんの得意な人)はいるかもしれないんですが、すばらしい実業家(論語と算盤を併せ持つ人:「実業家」の定義がちょっと変かな?)は少ないと思うんですよね。でも、日本には明治時代に実業家がいたんですよ~!それが渋沢栄一だと思うんです。

1月の終わりに、渋沢栄一財団の方々と小田原のアジアセンターで合宿をやりました。「財団ではこれまで、積極的には渋沢栄一を世の中に知らしめようとしてこなかった」というお話を聞きました。
でも、今こそ、甦る時だと思うんですよ!渋沢栄一翁さん。
その合宿の中である友人が言いました。「渋沢栄一はヴィンテージ・ワインだ」と。
そうですね、渋沢栄一財団がこの日のために熟成してきた至福のヴィンテージ・ワインです。あえて、世の中に出してこなかった・・・。
ワインには飲み頃があります。私は渋沢栄一ワインは、まさに今が飲み頃だと思うのです!

こんな時代だから、project13%では渋沢栄一をこれからもいろいろな場面で取り上げて、ご紹介していきたいと思います。

「e」塾(かっこいい塾)=(ろんご+ソロバン)塾
次のシーンはどんなだろう。結果が見えちゃうと、ワクワクするのは難しいですよね。
何が起こるか分からないから、ワクワクするんだよね。Project13%では、何が起こるか分かりませんヨ。Project13%にはゴールもないような気がします。

(余談)
最近、世の中の話題をさらった、ホリエさん。彼については賛否両論ありますが、彼が世の中に変化を促していることについては、非常にすばらしいことだと思っています。特に今の日本のように元気が無い時にはネ。

でも、彼がなかなか世間に認められないのは、彼が「自分の目標は自分の会社を世界最大の時価総額の会社にすること」と公言しているからだと思うんです。バランスが悪く、どうも道徳と経済が一致していないように見えるんです。私はこれが、とても残念なことだと思うんですよねー。


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by project13percent | 2005-04-17 23:40

各国の「間」


こんにちは。 
ワシントンDCから渋澤健です。

このような物理的な「間」を埋めるのは簡単ですね。

ただ、日本とアジアの国ではなかなか「間」が埋まりません。

さきほどの夕食会で米国学者のジョセフ・ナイ氏と
中国の若手政治学者、そしてドイツの政治学者と色々と
意見交換をすることができました。

ドイツが戦後にフランスとの「間」を埋めるための
人的交流など。一方、イギリスとは海峡で離れているためか、
なかなか埋めることができない「間」。

「我々の世代としては、過去をきちんと整理して前進したい」
と述べたところ、中国人学者はうなずいてくれました。

ナイさんが、日本が「普通の国」になることは中国にとって
脅威になるか?という質問には、中国人学者は、「いいえ」と
答えていました。

ナイさんは、また、日本はたくさんの「ソフト・パワー」を持ちながらも、
いつも足元をつまづいているね、という指摘。

ただ、日本が国連の安保理事会に入ることに中国政府が反対することは
短期的思考ではないかと難解を示していました。

我々の世界の「間」。
考える材料をたくさん提供してくれますね。
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by project13percent | 2005-04-17 11:42

礼と楽が、距離感には大切

守屋です

中国の古典には、人間同士の関係はほどよい距離感、「間」があった方がよいという考えがありました。

例えば『荘子』という古典には、「君子の交わりは淡きこと水のごとく、小人の交わりは甘きこと醴(れい)のごとし(立派な人間の交際は、水のようにさらさらとしているが、つまらない人間の交際は甘酒のようにべたべたとしている)」という言葉があります。そうえいば、「上善水のごとし」という日本酒もありますね(笑)。こちらは老子ですが・・・

また、儒教系の思想は、「礼」と「楽(がく)」によって、人と人の距離感を操ろうとしました。
儒教系の思想を「礼治主義」ということがありますが、実は、これだけでは一面的なのです。

「礼」とは、噛み砕いて言えば、ビジネスマナーのようなもので、人と人に分け隔てを与えるものです。たとえばタクシーの席順や、和室の座り方など、自分の身分秩序における立場を自覚させ、人を離す役目を果たします。

一方、「楽」とはみんなでカラオケボックスいくようなものなんです、ホント(笑)。一緒に合唱して調和しあうなかから、一体感を感じてもらおうとするわけです。こちらは距離感を縮める役目を果たします。

この二つの操縦桿を操って、人の程よい距離感を生み出そうとしたのが儒教系の思想でした。
そして、ちょうどよい距離感が実現できたとき、それは「中庸」だ、ということになるわけです。

でも、「中庸」にも色々問題点があって、という話は、また来週(笑)

追伸 吉川晃司が中国古典に大はまりだそうですねー。ユガナチャンス、昔絶叫しました・・・
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by project13percent | 2005-04-15 19:34

金のなる木は清い土で育つ 清豊の思想

hirakunです。

今日は、藤野英人さんの著書「金のなる木は清い土で育つ 清豊の思想」(経済界)をご紹介します。

藤野さんは、会社は、ポジティブ・ネガティブ・プラス・マイナスといった多様でいて生々しいものが全部くっついたモノであると説きます。全く綺麗な存在でも、すべてが醜い存在でもないわけです。そういったリアリスティックな目が会社の本質を見抜くためには必要なのでしょう。素直に観察すれば、何らかの傾向性、一種の業(ごう)見たいなモノが見えてきますからね。この点は、会社も人間も同じ。

次にその会社の資産とは、物的資産、金融資産、人的資産、そして顧客資産の四つであると説きます。目に見えない人的・顧客資産こそ大切であって、その部分が付加価値(幸せが心を満たすこと)を生むのでしょう。

私たちは、清貧(清らかに貧しい)か汚豊(汚く金を儲ける)の二者択一のモノサシで、人生観を表現します。しかし、成功した経営者を数多く見てきた実感から言うと、清豊(清く、それでいて稼ぐ)の人が多いと藤野さんは説きます。私も数少ない経験ですが、誠実な経営者を評価するスタンスが、株式の長期保有には適しているように感じます。清豊という姿勢であってこそ、四つの資産のバランスが得られるような気がします。

清豊は「論語と算盤」の基本コンセプトと同じですね。
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by project13percent | 2005-04-14 21:40